北海道の稲作
「但しカレーライスはこの限りにあらず」という但し書があったということであるが、こうしたことからも、開拓使も米づくりについてはきわめて消極的だった。
屯田兵村においては米作の禁止が通達された。
しかし開拓民の米づくりに対する執念は根強く、各地で米づくりの試みが続けられた。
北海道 札幌グルメに欠かせない稲作は江戸時代から道南で始まっていたが、道央以北においては困難であるというのが常識であった。
河内出身の中山久蔵は、挑戦し、苦心の末成功した。
久蔵は生産した種籾を石狩・空知・上川地方の移民に無償で配布したり、道庁の依頼で各地で稲作を指導、米どころ北海道の基盤をつくった。
駅逓所内にはクラークの記念碑がある。
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